「新たな公」で動き出した伊万里

伊万里市はちがめプランでは、平成20年度事業として、国土交通省の「新たな公」によるコミュニティ創生事業の支援を受け、市内東山代町(ひがしやましろちょう)川内野(かわちの)地区、人口216人66世帯が結成し活動している「川内野コメCOME倶楽部」と佐賀大学農学部染谷研究室、開発研究所、伊万里市等が連携・協働して「安全安心な食づくり」「中山間地域における環境にやさしい生活」等の構築を図っています。
川内野・日南郷(ひなたごう)地域の特産品づくりと周辺の山ン寺(やまんでら=松浦党の宗廟の地)を目玉としたエコライフ体験・エコ歴史ツアー・伊万里出身者の移住誘導等の活動を行い、都会の人々との交流・定住人口の拡大を目指して活動中!

これから実際の活動内容を一部ご紹介していきます。  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:28

川内野からの風


 

2008年9月11日、川内野地区公民館において、「新たな公」によるコミュニティ創生事業の説明会が行われました。
夜の時間帯にもかかわらず、たくさんの地区の方々が来てくださって、説明会は、「川内野からあたらしい風を起こそう」という熱気であふれていました。

あたらしい風の内容は、
●黒米や日南郷(ひなたごう)茶など、農産物の商品開発
●川内野地区の生ごみ回収からはちがめ堆肥への循環型社会の形成準備
●廃食用油からのBDF化
●環境浄化剤を用いた家庭排水の浄化の社会実験とバイオマスタウン構想準備
●住民ボランティアの参加促進のための地域通貨「ハッチー」の活用
●川内野にある「山ン寺」を中心とするエコライフ体験・歴史ツアー客の招致
●移住者を含めた定住人口の拡大
などとなっています。

20年度、21年度の2年間で実現していくようにNPO法人はちがめプランは協力してくださるみなさんと共に手を携えあってアクションを起こしていきます。
ぜひ、皆さん、ご指導やお力添えをよろしくお願いします!!


 

  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:31

はちがめ堆肥と廃食油燃料化でめざす循環型社会


平成12年6月2日に「循環型社会形成推進基本法」が制定されて9年が経とうとしています。
循環型社会とは”資源やエネルギーの損失がない状態を理想状態として、(消費>ゴミの生成/汚染物質の排出)という流れで一連の経済活動が終わる状態から、(資源の利用>結果として次の活用資源を生成)となるような、社会システムを構築することを指す”とフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)には書いてあります。
伊万里はちがめプランで行っている「生ごみを微生物の力を借りて良質な堆肥にする」ということは、まさにこの循環型社会を形成するためのプロジェクトなのです。

「新たな公」によるコミュニティ創生支援モデル事業では、川内野地区から排出される売り物にならない野菜や生ごみの堆肥化も進める準備をしています。
この写真は川内野にある堆肥集積場です。
現地では、屋根つきの堆肥集積所がつくられ、はちがめ堆肥が集積されています。
これを各農家の方が、自分のところで作っている農産物に実際に効果を試しているところです。
アスパラガスに施肥している様子。おいしくなーれ!


各農家の方々に2008年9月25日から現在まで、冬野菜用やお茶、アスパラガス、黒米の栽培用として2トン車や軽トラックで何度もはちがめプランのスタッフが搬送しています。
こうして実際に施肥して、はちがめ堆肥の効果が確認されれば、さらに普及がすすみ、川内野集落から発生する生ごみを収集して堆肥化するという「循環型社会」に近づいていくことになります。

廃食油燃料化(BDF化)についても実際に廃食油を精製して作られたBDFをトラクターなどで燃料として試運転等をしていただいたうえ、安心して給油が可能になってから廃食油の回収を始める予定です。

循環型社会を目指す動きは、まだ始まったばかりです。まずは、私達が身近にできることを意識し、それを少しでも実行していくことが大事なのだろうと思う今日この頃です。






  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:48

黒米を食べよう!




伊万里市の川内野地区で栽培している「黒米」。
最近はその名もよく聞くようになってきましたが、実は歴史ある古代米の一種です。
名前の通り、玄米の色が黒(紫色)をしたお米のことで、写真のように稲の状態でも黒(紫色)をしています。
というのも、この紫黒系色素(アントシアン)は、もみ殻やぬか層に含まれているのです。

ですから、完全に精白してしまうとせっかくの色が薄れてしまいます。
アントシアニンの効果のためにも、米の色を楽しむためにも、通常は玄米、もしくは五分づきまでで食べます。
ちなみに、アントシアニンは抗酸化作用を有するポリフェノール化合物ですので、一説によると細胞の老化を抑える働きがあることや眼精疲労の予防や回復の働きがある等、言われています。
また完全に精米せずに食べることから、通常の精白米に比べて、たんぱく質、食物繊維、ビタミンB群、ビタミンE、ミネラルなどが多く含まれます。



黒米の利用の仕方は、精白米の重量に対して約5%程度加えて炊きます。この時に、ほんの少しだけ自然塩を加えて炊くと米の甘みが増すようでおすすめです。
炊き上がりは、ご飯全体がうす紫色に色づいて炊き上がるので、お客様にも喜ばれますよ。
ちなみに同じアントシアニンを含む黒豆を精白米に炊き込んでも同じような色に炊き上がります。この時は、黒豆を一晩水につけてふやかして、その戻し水で炊き込むと色づきがよくなります。
ぜひ、一度試してみてくださいね。

  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:50

黒米みそに黒米とうふ






今回は伊万里市川内野の女性グループ「夢耕房農産物加工グループ」が新たに商品開発した「黒米みそ」と「黒米とうふ」をご紹介します。
黒米みそは、川内野産大豆100%で、原料の20%に川内野の「コメCOME倶楽部」が栽培した黒米を使用しています。
国内産で、しかも川内野産限定ですので、安心感が違います。
もちろん、アントシアニンによるポリフェノール効果もばっちり!
おいしいお味噌なので、田楽などのみそ料理にも最適です。

また黒米とうふは、和菓子のような見た目です。
これは黒米の色素を取り出し、豆乳に混ぜてつくっています。見た目と違わぬ上品な味で、子供さんからおじいちゃん、あばあちゃんまで年代を問わず、おやつとしても最適です。
「子供のおやつにも体にいいものを!」と思っているご家庭には特におすすめします!

  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:52Comments(0)TrackBack(0)

黒米の大変身!



川内野地区の特産品はなんと言っても「黒米=くろまい」。これは、古代種のお米で、文字通り黒い色をしています。
この黒い色、実はブルーベリーなどに多く含まれている「アントシアニン」。
アントシアニンは一説には、活性酸素を抑制する抗酸化作用や、眼精疲労の予防や改善に役立つとも言われています。
そのアントシアニンをたっぷり含んだ黒米は、白米と少しだけ炊き込んでも、きれいな薄い紫色のごはんになってとってもお洒落。
一瞬「お赤飯?」と思うような華やかさがあり、おもてなしの時などに、とても喜ばれます。
しかし、今回、その黒米を、川内野地区の皆さんと知恵を出しあって、おいしいお菓子に大変身させてみました。
できあがりが、この「黒米ケーキ」と「黒米クッキー」。
2009年1月8日に行われた試食会では「とっても美味しい!」、「独特の風味があってクセなる味」と大評判でした。
もちろん、無添加。そのため、賞味期限は短めですが、身体にもいいお菓子は、贈り物にも喜ばれることまちがいなしです。
今、商品化に向けてプロジェクトが進行中で、試食会等を実施しています。
もう少し、お待ちくださいね。

  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 15:57

日南郷、なんて読む?



にちなんごう?いえいえ、「ひなたごう」と読みます。
日南郷は、佐賀県伊万里市と長崎県との県境の山間部にあります。
ここは戦後の開拓地で、終戦後引き揚げ者の方たちが機械などない時代に「鍬」や「鎌」だけで畑を切り開いていったという歴史のある土地です。
寒凍害、晩霜害など、幾度もお茶栽培の失敗を重ねたそうです。そして、農業をするのには決して良い環境ではなかったそうですが、お茶を栽培し始めた住民の方々は、厳しい条件であきらめることなく、研究に研究を重ね、栽培だけでなくお茶の加工の技術も磨き、現在のような「日南郷茶」を確立していかれたそうです。

また美味しいお茶づくりに欠くことのできない条件として
1・朝・晩の温度の差があること
2・霧がかかり、霜がすくないこと
3・土質が適し、肥料分が豊かであること
の3つがありますが、日南郷はこれらの条件を満たしていたため、住民の方の努力とあいまって、今の良茶の産地にまでなっていったとのことです。

日南郷茶は、渋みが少なく深みのある味がして私も大好きです。
是非、みなさんも一度は飲んでみんしゃいね!
  
タグ :日南郷茶

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:09

水質浄化剤ってなに?



水質浄化剤って聞いたことがありますか?
「うちは水洗トイレだし関係ないわ」って思っている方も多いと思いますが、実は、「台所からの家庭排水」が環境に大きな負担を掛けているのです。
以前に比べて改善してきているものの、現在でも環境基準の達成率は70%程度しかありません。
そしてその汚濁物質の50-60%程度は,何の処理もされずに放流されている生活雑排水が主な原因です。しかも、その中で大きな負荷を掛けているのは調理にともなう台所からの排水によるものです。
例えば、台所から米のとぎ汁を2ℓ流したとすると、魚が住める程度に薄めるのに必要な水の量は浴槽(1杯を約300ℓとして考える)で4杯分も必要になります。ほかに主なものをあげてみると、
食品の種類と捨てる量        魚が住める程度に薄めるのに必要な水の量
みそ汁お椀1杯分200ml       浴槽4.5杯(1350ℓ)
牛乳コップ1杯180ml         浴槽9杯(2700ℓ)
しょうゆ大さじ1杯15ml        浴槽1.5杯(450ℓ)
天ぷら油にいたっては、鍋1杯500mlを流したら、浴槽330杯(99000ℓ)の水が必要になります。

こうした汚染を私達自身が防ぐためには、安易に台所から流さず、汁物や飲料はできるだけ残さない、洗う前に皿についた汚れはできるだけ拭き取って洗うなどの工夫が必要になってきます。
しかし、そうはいってもその程度の工夫では、汚染の速度は止められません。
そこで考え出されたのが、水質浄化剤です。
この水質浄化剤「源流きらり」は、「多摩源流の湧水」「三温糖」「ヨーグルト(乳酸菌)」「ドライイースト(酵母菌)」「納豆(納豆菌)」から作られた「環境浄化剤」です。
つまり、環境浄化剤とは
小さな環境である私たちの住空間を快適に保つこと
大きな環境である河川や海の水質および土壌の微生物環境を改善・保全することの2つの役目を果たします。

 源流きらりを小分けしている様子

そこではちがめプランでは、川内野地区の各戸へ源流キラリを配布して使用していただき、その使用記録をつけてもらうという社会実験を行いました。
10月24日と11月7日の2日間、家庭排水浄化の社会実験住民勉強会が義村利秋氏を講師に迎えて行われました。
地区のみなさんには、10月27日から12月25日までの約2ヶ月間、毎日ペットボトルのキャップ1杯を台所やトイレなどに散布してもらうよう依頼しました。
台所にペットボトルキャップ一杯を流す

トイレでは消臭と尿石に効果があるとの結果が・・・。




気になる結果ですが全配布家庭の42戸の回収結果から「よく効いた」と「効いた」が、全体の80%の感想としてあげられています。具体的に効果があったとあげられているのは、台所のぬめりがなくなった、台所やお風呂の匂いが消えた、トイレでは消臭効果や尿石が取れたという回答が寄せられています。またその他には、野菜や花の液肥、掃除、洗濯、入浴剤として効果があったという意見も出ています。


  
 


 


お風呂に使うと湯垢が着きにくくなる効果も。
こういった水質浄化剤は、水環境を守る以外に、かぶれたりかゆみを起こすため合成洗剤は使えない人でも試してみる価値はあるのではないでしょうか。 

いずれにしても、次世代により良い環境を引き継ぐために、自分たちの環境は自分達で守っていかなければいけませんね。



 


  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:11

知る人ぞ知る、兵どもが夢の跡「山ン寺遺跡」




山ン寺遺跡は、伊万里市東山代町川内野地区、文殊原(もんじゅばる)高原の西端、標高約450メートルにあります。

ここは松浦党2代目の源 直(みなもとのなおす)が、平安時代の久安年間(きゅうあんねんかん)、1145~1150年頃に大きな館を建てて、根拠地にした場所と言われています。
また近くの西の岳の高原に、牛や馬を飼う広大な牧場を営んでいたとのことです。
さらに、直は総持寺を建てて祖先の霊をまつり、この土地の山祇神社(やまずみじんじゃ)にまつったとされています。
「山ン寺」の名前の由来は、この総持寺という寺あったためだと言われています。
ちなみに「山ン寺」の「ン」は、この地方の「の」という意味の方言です。
後でご紹介する山ン寺の民話は伊万里の方言で書いてありますので、この言い方がたくさんでてきますよ。
興味のある方は読んでみてくださいね!

では遺跡の詳しい話をする前にまず、主役の松浦党をご紹介しましょうね。
松浦党の名が歴史の中に初めて出てくるのは「平家物語」です。また、建久3年(1192年)には、山代の源 囲(みなもとのかこう)が山代浦の地頭に任命されたという記録もあります。
なかには、寛仁3年(1019年)には九州に攻め入った女真族(じょしんぞく=中国の東北部にいた民族)に源 知(みなもとのしらす)が松浦地方の武士をひきいて撃退したという話が残っており、その知(しらす)が松浦党の先祖と考える説もあります。

そして松浦党の人々は、14世紀の後半を中心に朝鮮半島や中国大陸の人々に倭寇(わこう)と呼ばれて恐れられていたようです。
倭寇というのは、今で言う「パイレーツ=海賊」という意味で、松浦水軍と呼ばれることもあります。
しかし、そんな松浦党ですが、文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の2度の元寇では大活躍しています。
この2度の元寇は2度とも暴風が吹き荒れ、元軍の舟に大損害を与えたということは、歴史上の有名な話です。
*元寇=げんこう 当時中国にあったモンゴル族の王朝と、朝鮮半島にあった高麗軍がともに日本へ攻め込んできた戦い。

しかし、松浦党で特筆すべきことは、「共和的自治制を布いた特異な武士団」ということでしょう。
これは、同族・他族間に土地や得分の争いが絶えなかったため、一族の力は弱劣化し、近隣の領主や領民はその争いに巻き込まれ、大変に被害を被っていたという背景があります。
そのため松浦に住む同族、および地区住民が「無用な争いを避け、争いの根を絶つ解決方法をさがす努力」として考え出したので松浦一族一揆というかたちで発展していきました。
それを一揆外の人が「松浦党」と呼んでいます。
この一揆には、約束を守り一致して行動をとるために盟約を結び、それを遵守していたらしいのですが、それが一揆契諾状(いっきけいだくじょう)です。
一揆契諾状は、4年ごとに改訂されているようで、こうして結束を高め、強力な軍事的一揆を形成していったと推定されています。
その力は、「京の五条の橋のうえ、大の男の弁慶が・・・」というおなじみの童謡の原点である「義経記」に、弁慶が「人の重宝は千揃えてもつぞ。奥州の秀衡(ひでひら=藤原秀衡)は名馬千疋、鎧千領、松浦の大夫は故簗(やなぐい=矢を入れる筒)千腰、弓千張を持つに、我は代わり(代金)のなければ、夜な夜な人の佩きたる(はきたる)太刀千振を取りて我が重宝とせばや」と語らせているほどです。
そこまで、この松浦党の力は全国的に名を馳せていたのですね。
しかもこの時代にこの進んだ考え方!驚きますね。

では主役の松浦党の歴史がわかったところで、この松浦党の根拠地、山ン寺遺跡を次にご紹介しましょう。








  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:24

山ン寺に来んね!




山ン寺遺跡は、広さ1万平方メートルのなかに、たくさんの史蹟があります。
内容を簡単にご紹介しますと、

大館邸跡:鎌倉時代の武家館様式をのこす南館と武者溜・馬寄せ場、矢倉門跡のある武装北館もそなえている
階段式溜池:館の住人や牛馬の飲料水源と推定されている
石庭:自然の岩石を利用、造成した渓谷風庭園。
総持寺跡:源 久(みなもとひさし)、直(なおす)、清(きよし)という松浦党祖3代の霊を祀った宗廟跡。石垣で囲んだ約1000平方メートルの敷地内には、小庭園跡、泉池跡、鐘つき場跡などがある。
鐘つき場跡:石垣の上に柱を立てて鐘を吊るし、地面を立って鐘をついていたらしい。
釈迦堂 :総持寺前にあり、室町時代の木造来迎阿弥陀坐像、木造虚空菩薩像などが祀られている。
源 久、聞(清)、直夫妻墓:直夫妻の墓は埋葬墓。久、聞(清)の墓は遥拝墓。遥拝墓というのは、拝み墓で、昔は寺廟に霊位を祀り、屋敷近くに必ず拝み墓を建てていた。これを屋敷墓ともいう。
山祇神社:(やまずみじんじゃ)。山祇とは、山の寺山頂の磐座(いわくら)におわした橡樟日神(よしょうにっしん=樟の木と太陽が合体した土地神)で、春は山を降りて田に止まり、秋は実りを見極めて山に帰るとされる。はじめ、直が祀った祭神は山祇の神であった。
砦跡:もと山頂部を3重の石塁が鉢巻状に取り巻いていたが明治時代以降に炭竈(すみがま)用に取り崩したため現在はほとんど残っていない。山祇神社境内にL字型に12メートルばかりの戦国時代の石塁が残っている。
天正石地蔵:高さ2メートルの砂岩製。天正期(1573~91年)の板彫様式。(*別ページに民話があります)
納経塔:平安期の経筒埋蔵様式を継承した経塚。経筒は戦前に発掘され、現在は残念ながら行方不明。
方角の池:釈迦堂前に東西と南北の2つ池がある。名前の通り、正確に方角を示している。
山ン寺塔:無縫塔(むほうとう)と宝篋印搭(ほうきょういんとう)が合体した特異な塔。安土桃山期の陰刻剣先連弁が中台に刻まれている。1981年から翌年にかけての調査では、宝篋印搭は室町時代中期のものと判明した。
千人塚:80余基の宝篋印搭、五輪塔、板碑等が3段に並んでいる。かつて、首と幼児の部分がかけたマリア観音白磁像が出土した。川内野蓮乗寺にはかくれ切支丹の納戸仏マリア観音木造が安置されている。
織部風板碑:千人塚の傍らにある。キリシタン墓の疑いがもたれている。
500メートル列石:数トンにもなる石を500メートルに一直線に並べた列石がある。何のために、なぜこんな大きな石をこのように並べたのかまだわかっておらず、一説には風水説による建造物とも言われている。
鹿防跡:徳川期の牧垣の跡とされている。




いかがですか?
山ン寺は、なかなか壮大な歴史の浪漫が詰まっているところでしょう?
それに、千人塚から「マリア白磁観音像」が出土したというのも幕府献上品を作っていた陶都・伊万里ならではのものだと思います。 

また、椎の原生林や、葉が小さくとても風情のある五本楓などもありますよ。
昭和62年の台風で残念ながら倒れてしまった「おがたまの木」というのも以前はあったそうです。
「おがたまの木」とは、現在、神の「憑代=よりしろ」とされているのは、榊(さかき)ですが、それ以前に使われていた憑代といわれている珍しいものでした。
巨木だったらしく、今になっては見てみたかったなあと思いますが、現在は、跡もはっきりしなくなったそうで、やはり自然のものはいつどうなるかわからないものなのですね・・・。
そうなると余計に、今あるものを、今この時に、「見て、体験すること」が大事なのだと感じます。

はちがめプランでは、歴史薫る山ン寺にエコ・ツーリズムできるようこれから準備していきます!
是非、楽しみにしていてくださいね。


  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:34

山ン寺の民話「かぼちゃ」

当時15歳やった山代家の当主・虎王丸(とらおうまる)は、天正4年(1567年)、佐賀の龍造寺隆信と戦って負けてからくさ、山ン寺砦で最後の決戦に臨んだとばい。
虎王丸は隆信から攻められ、負け色も濃くなってからくさ、館も寺も焼き払われたらしか。
そんときにさ、当主・虎王丸は、山ン寺のかぼちゃの蔓に足ば絡まれてからくさ、倒れたことろを生け捕りにされたとって。
怒り狂った虎王丸は、そのかぼちゃば叱りつけたけんばい、恐れ入ったかぼちゃは、そののち山ン寺では実をつけんごとなったらしか。

おしまい。

標準語訳:
「当時15歳だった山代家の当主・虎王丸は天正4年(1567年)、佐賀の龍造寺隆信と戦って負けて、山ン寺の砦で最後の決戦に臨んだ。
虎王丸は隆信から攻められ、負け色も濃くなり、館も寺も焼き払われたとのことだった。
そんな時に、当主・虎王丸は、山ン寺のかぼちゃの蔓に足を絡まれて、倒れてしまったところを生け捕りにされた。
怒り狂った虎王丸は、そのかぼちゃを叱り付けたため、恐れ入ったかぼちゃは、そののち山ン寺では実をつけなくなったと言われている。

おしまい」

年配の方にこの民話の方言指導をしていただいたとき、
「俺らは、虎王丸の子孫やけん、川内野あたりは、かぼちゃはあんまり作らんもんね。食べるのも好まんとばい」と言われていました。こういった民話は生活の中に深く根付いているのだと改めて気付かされたお話しでした。
それに伊万里の方言もなかなか味があるでしょ?

  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:37

山ン寺の民話「おじぞうさま」

おおきなおおきな石のお地蔵さんがあったってばい。
どれくらいふとかっていうぎばいね、2メートルぐらいあったってばい。
こん地蔵さんに、福島から山ン寺へ来てもらおうとに、舟で運ばれて来たとって。
そしてやっとばばいね、山代ん鳴石(なるいし)海岸に着いて、山ン寺まで荷車で運びよったら
途中でビクとも動かんごとなったってばい。
困ったみんなは、ありがたいお経ば唱えて背負うと、
お地蔵さんはたいそうたいそう喜ばれてばいね、山上まで軽がるがると上らしたらしか。
だけん、山ン寺には、天正石地蔵さんが今でもおらすとばい。

おしまい。

標準語訳
「大きな大きなお地蔵さんがあった。
どのくらい大きいかというと2メートルくらいもあったらしい。
このお地蔵さんに福島から山ン寺に来て貰おうということで、舟で運ばれてきていた。
そしてやっと山代の鳴石海岸まで着いて、荷車で山ン寺まで運んでいたら
途中でビクとも動かなくなった。
困ったみんなは、ありがたいお経を唱えてお地蔵さんを背中に背負うと
お地蔵さんはたいそう喜ばれて山上まで軽々と上っていったらしい。
だから山ン寺には天正石地蔵さんが今でもいらっしゃるんだよ

おしまい」

伊万里の方言、楽しんでいただけましたか?
ぜひ、山ン寺へ来て天正石地蔵さんに会っていかんね!
お地蔵さんもまっとうばい。  

2009年02月27日 Posted by はちがめプラン at 16:48

山ン寺大祭




毎年12月1日は山ン寺の松浦党党祖まつりがあります。

寒い時期ですが、芯からあったまる、がばいうまか(=とってもおいしい)「黒米うどん」も食べられますし、名物「けえらん」も売ってます。

「けえらん」って聞いたことがありますか?
実は、あの、豊臣秀吉と関わりがあります。
頃は朝鮮出兵のおり、秀吉は名護屋に陣を構え、戦勝祈願に地元諏訪神社に立ち寄ったそうです。
そのとき、地元地区の人たちが秀吉に献上した団子が「けえらん」のはじまりとされています。

でも「けえらん」って変わった名前ですよね。
実はこれは、秀吉が「勝つまで帰らん=けえらん」と言ったことが由来になっているという言い伝えがあります。
おもしろいですね。
ちなみに、けいらんは米を蒸した生地に餡をまいた素朴な和菓子です。

それから、地元小中学生の奉納相撲も行われます。
とても一生懸命でかわいい姿がみられますよ。



大きなお祭りではありませんが、忘れた何かを思い出させるような素朴さがあります。ぜひ、伊万里に「ほっと」しに来てくださいね!


 

  

2009年03月12日 Posted by はちがめプラン at 15:22